現代に、百姓という民が隠れ棲んでいる。
火を操り、田を営み、機を織り、醸す。
百の仕事を、まだ手放していない者たち。
農耕から、およそ一万年。分業は果てまで進み、われわれは「生きるすべをひとつも知らぬまま生きられる、史上初の人類」になった。
だが、絶えてはいない。都市の外れ、山あいの里、海辺の町。百の仕事をいまも手で回す者たちがいる。われわれは敬意を込めて、こう呼ぶ──百姓(HYAKUSHO)と。
この図鑑は、その民に会いに行くための手引きだ。訪ね、隣に立ち、火を、味噌を、繕いを、ひとつずつ体でならう。会えた証に、その仕事の頁へ朱印がひとつ。
霊長類学者ランガムは言う──ヒトをヒトにしたのは、火と調理だ(料理仮説)。消化を火に外注して、脳は大きくなれた。自分で起こした火がいつまでも見飽きないのは、種の記憶かもしれない。
リチャード・ランガム『火の賜物』photo: Bengt Oberger / CC BY-SA 4.0 (Wikimedia Commons)
人類学者サーリンズは記す──狩猟採集の時代、労働と遊びは分かれていなかった(始原の豊かな社会)。生きるための仕事は、外注する前、ぜんぶ面白い遊びだった。つまりこれは、人類の原点への小さな探検である。
マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』photo: Elkziz / CC BY 3.0 (Wikimedia Commons)
なぜ、拾い集めるのか。ひとつ拾うたび、あたりまえの底が見えてくるからだ。茶碗の米に、蛇口の水に、それを支えてきた誰かの手と一万年の時間が透けて見えるようになる。世界はそのままで、見え方だけが変わる。それがこの旅の、いちばんの土産である。
あたりまえのピースを、ひとつずつ、拾い集める旅へ。












